共同正犯でなぜ相互補充関係を論じないか。

刑法の事例問題において、共同正犯の趣旨や要件を導出するときに、「相互利用補充関係」というかつてのキーワードを書く方は結構おられると思います。

 

しかし、必ずしも書く必要はないと思います。その理由を説明します。

(もちろん、相互利用補充関係を重視する見解もありますし、それを否定する趣旨では全くないことは強調しておきたいと思います)

 

1 共同正犯の現象を説明しているに過ぎないから。

相互利用補充関係は共同正犯の現象を説明しているだけで、その処罰根拠を示しているわけではないと思います。

また後述するように、共同正犯と認められる類型で相互利用補充関係と言えないものがあります。

 

2 因果的共犯論が通説だから。

犯罪実現に因果的寄与を及ぼしたことが共同正犯の処罰根拠であるという因果的共犯論が現在の支配的な立場だと思います。

なので、相互利用補充関係があるからでなく、因果性を及ぼしたことが共犯の処罰根拠です。

相互利用補充関係をあまり強調しすぎると共同意思主体説に繋がることになりかねないという問題もあります。

 

3 スワット事件等の支配型の類型では相互利用補充関係と言いにくいから。

首謀者である暴力団の組長が配下の団員に一方的に指揮・命令をしている場合でも判例上共同正犯(スワット事件など)は認められますが、この場合は組長が一方的に利用しているだけで、相互に利用補充しているとは言いにくいです。

もちろん、相互利用補充関係の意味を緩やかに解すると、暴力団員の方も何らかの形で組長を利用しているとは言える可能性もありますが、そうすると相互利用補充関係という概念は空洞化しているようにも思います・

この3番目の理由は決定的な理由になり得ると思います。

 

4 「共同性」につき関係者が双方向的な因果的影響を及ぼし合っている関係を要求する見解について。

 共同正犯の要件には「共同性」というものがあります。これは基本的には意思連絡があれば認められる要件ですが、より「共同」の中身を厳格に解して、互いに相談し合って犯行計画を決めたり犯行現場で助け合うなどの場合のみ認める見解があります。

 この場合には、相互利用補充関係というワードがキーになってきますが、この見解を取らない場合はキーワードにはならないように思います。

 

 

 

以上につき橋爪隆・刑法総論の悩みどころ(単行本)の14章が関連文献として挙げられます。