Twitterに書けない呟き:結果無価値と行為無価値

◾️違法性とは

違法性とは何か

 

違法性とは法に反することである。

 

これはトートロジーに思えるかもしれない。

 

しかしこれを確認しておくのは大事なことだ。違法性とは法に反すること。これを出発点にして以下見ていこう。

◾️結果無価値・行為無価値とは

では、法に反することとは?

つまり、どうすれば法に反することができるか。

 

これに対する回答として、結果無価値論と行為無価値論がある。

 

結果無価値論は、刑法は法益を保護するためにあるから、法に反することとは、法益を侵害することである、と考える。

つまり、法益侵害という結果こそが反価値(違法性の内実)ということだ。

 

行為無価値論は、行為規範に反することだと言う。

 

行為が反価値(違法の内実)だということだ。

 

現在の日本での行為無価値論は、行為無価値論は法益保護の点も重要だと考える。

 

したがって、いまの日本でいう行為無価値論とは、一元的な行為無価値論ではなく、結果無価値に合わせて行為無価値も考えるべきだ、という二元的行為無価値論のことを指す。

 

ここで、大事なことは、この二元的行為無価値も結果無価値を中心に、これに行為無価値論も合わせて違法性を考える、という考え方であることだ。

 

だから、結果無価値論と行為無価値論の対立とは、結果無価値に行為無価値も併せて考えるべきか、結果無価値だけで行くべきかということだ。

 

◾️コメント

行為無価値論には、道徳的価値の刑法による保護を企図するリーガルモラリズム的な行為無価値と、道徳と刑法を完全に峻別する行為無価値論がある。

 

前者は伝統的な行為無価値論だが、現在では必ずしも有力な考え方とは言えない。

 

後者の行為無価値論の方が立ちやすいだろう。

 

行為無価値論は、結果無価値論に対して、違法性が法益侵害だとすると、人でなくても、例えば自然災害などでも法益侵害が可能だ、そうすると、何らかの人による意思的行為(故意でも過失でも)がないと違法ということにならないのではないか、意思的行為が発動要件になっていないと、法の刑罰予告機能がないのではないか、と批判する。

 

なるほど、確かに、人の意思的行為による法益侵害でないのに「違法である」という評価が加えられるのはおかしい。これは私も的を射た批判なように思う。

 

しかし、私は、結果無価値論の方がいいと思っているし、実は受験的にも結果無価値論で考えた方がわかりやすいと思っている。

 

また、結果無価値と行為無価値の対立は、現在の議論水準では個別の事例の結論に差異を及ぼすか疑問があり、実務がどちらかとは必ずしも言えないのではないかと思う。

 

結果無価値で考えた方がいいと思うのは違法性・責任の理解が楽になるからだ。

 

違法性とは法益侵害行為をいう。責任とは非難に値することをいう。

 

違法性=法益侵害、責任=非難可能性

 

非常に単純だ。

 

主観的違法要素、主観的責任要素の区別も楽だ。

 

犯罪論体系の理解もスムーズだ。

 

とりあえず行為無価値ではなくとりあえず結果無価値論でもさしたる問題はない。司法試験委員も結果無価値論者は多い。

 

むしろ犯罪論体系に対する理解が甘い人が多く、最近では違法性阻却事由、責任阻却自由の理解を問う問題が頻出している。

 

私が指導するならとりあえず行為無価値論を教えるという安易な発想にはならない。

 

受験生が結果無価値論にアレルギーを持つことは残念だ。